『ビジョナリー・カンパニー』のもたらす真の効用とは

先日の記事でビジョナリー・カンパニーについては触れたんですが、
そのとき書いたか書いてないか記憶がさだかでないんだけど、
どうもビジョナリー・カンパニーは1より2のほうが評判が良いようです。

ってことで今ビジョナリー・カンパニー2を読んでるんですが、
今日はその話しがメインではないです。

ま、ビジョナリー・カンパニーは4まであるようなんで、
行けるとこまで行ってみようと思うんだな。
やはし専門家としては 笑

で、前置きがながくなったんだけど、今日はじゃあ何の話しかというと・・・
書籍「ビジョナリー・カンパニー」がもたらしたもの。

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それは、社会にとって、ビジョナリー・カンパニーにとって、
著者にとって、そして最初の社会に含まれるっちゃ含まれるけど、
読み手としての自分自身にとって、といろいろな意味があると思うんだが、
まずは

  自分にとってどうだったか、

というところから書いていってみたい。
そこから先、どこまで敷衍できるかはちょっと不明ですが。

そもそもなんでこんなことを思いついたかというと、
キッカケは庭の草むしりをしてるときだったわけです。

  はぁ?

って感じですよね。
ま、草むしりはたまたまのシチュエーションであって、
草むしり自体がダイレクトにそういう思索をもたらしてくれるわけじゃないです。ハイ。

草むしり、とかその他なんだろう、なんか単純作業してるときって、
いろんな考えが浮かんだりしません?
自分は結構あるんだな。

よく人によってはトイレとか、シャワー浴びてるとき、とか歩いているとき、
とかとかいろいろ言われるし、自分も上記そのどこでもそういう状況は
やってくるんだけど、とりわけ草むしりは多い気がします。

その間に曲思いついて、仕上げたこともあるしね 笑

草むしりって、結構ひたすら地面にしゃがみこんで一本一本草を抜いていく、
という単純作業なんで、自分に向き合うのにはちょうどいいんだろうな、きっと。

で、実は今日のきっかけになったのは、いきなりビジョナリー・カンパニー、
ではなくて、

  そうだ、会社辞めよう。

と思ったところがスタートでした。
それが、

  うん。会社辞めよう。今年中に。

となっていって、じゃあそこからどうしようか、家族にはどう話そうか、
辞めた後のことを考えてからにしたほうがいいんじゃないか、
いやいや、先に辞めると決めて行動を起こすほうが先じゃないか、
とかとかとかやってるうちに、

  仮にこれから先偉くなったとして、嬉しいのか?
  そうなりたいのか?
  でも社長にはなれないぞ?

なんて思ったわけです。

ま、ワタクシそれなりの規模の会社に勤めておりまして、
その中では落ちこぼれなわけなんで、いわゆる出世レース?、
とかだと周回遅れどころか2周も3周も遅れちゃってるわけで、
上のような心配もないわけです、実際 笑

なんというか軽自動車でF1のレースに乗り込んじゃった、みたいなね。

そうやって書くと、

  そんなのただの負け惜しみじゃないのか?

ってアナタ、思いますよね?
そりゃそうだ。自分でも思いましたよ、最初はね。

そこでハタと思ったわけです。
結構出世欲があって、出世する、とか出世した、ってひとでも、
だいたい部長とか、本部長、とか役員とかとか、まぁまぁ
トップオブトップじゃないわけじゃないですか?
例えば出向して子会社の社長、とかってのもあるけど、
そういう場合もたいてい本社に紐付いてたりして、ランク的には
本社の等級で見ると大したとこまでいってない、みたいな感じですよね。

で、これってなにが嬉しいんだろう?
って思っちゃったのよね。

つまり、上に書いたレベルの出世って、結局雇われの身で、
その世界の中での順列がどのくらいか、なだけなわけじゃない?

もちろん、

  「自分は○○株式会社の本部長でござい」

って名乗れることに限りなくプライドを感じられて、幸せを感じられる、
そういうひとにとっては嬉しいことだと思う。
それはそれでいいんですよ、ぜんぜん。

ただね、


  自分は違うな


ぜんぜん違う、って思ったわけです。
負け惜しみと思ってもいいですけど、心底そう思えなかった。
ので、余計に今の会社で働いてる意味がわからなくなっちゃった。

そこでじゃあ、なぜ上で書いたように、出世に血道をあげる人がいるんだろう?
と思ったときに、それこそが

  ビジョナリー・カンパニー効果

であって、そういう気分を与えられる会社がビジョナリー・カンパニーなのかな、
と思ったわけ。

  そしたらどんな会社でもビジョナリー・カンパニーになっちゃうじゃん!

とアナタはお思いかもしれないけど、それはちょっと(ちょっとだけ)違うかな、と。

要は、ほとんどの社員は、社長になんかなれない、とわかってるわけです。
そりゃもちろん「なれたらいいな」とか「ひょっとしたらひょっとするかも」
なんて思いを一度は抱いたりすることもあるでしょう。
でも物理的な、ホント単純な算数の問題として、ほとんどのひとはなれないわけですよ。
女王蜂だって巣に一匹しかいないのと一緒。

そうするとじゃあ「やーめた」ってみんななりますか?
ならないですよね?

「社長」という頂点に、どこまで近づけるか、という序列を争うわけです。
そして偉くなるために、ひとは努力するわけですね。

じゃあその努力ってなんなんだ、というと、よく出てくるのが、

  あの人はゴマすりだけであそこまで行った

とか、

  アイツは上しか見てないから

とかとか、とかく出世したひとをくさすのが世の常ですが、
まぁもちろん創業間もない一世代目の同族中小企業ならまだしも、
それなりのサイズの会社でそんなことってまずないわけですよ。

となると、中には実力もないのに出世した、っていうフロックみたいな人も
いるのかもしれませんけど、そして自分もそんな風に他人を思ったこともありましたけど、
大抵の場合、それは間違いです。

上る人には上がれる理由があるし、上がれない人には上がれないなりの理由がある。
それが真実。
○○大学卒業、とか、たまたまあたったプロジェクトの中にいただけ、
とかって長い目で見ると関係ない。

じゃあ上る人はなぜ上に上がれるのか、というと、それは非常に簡単なことですよね?
なんだと思います?

ちょっと考えてみてください。

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わかりました?

難しく考えすぎずに、もう少し考えてみましょうか。

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(ベタでスミマセン)

もういいですかね。

出世の秘密、それはですね、そう、


  会社のためになるかならないか


・・・えっ?
もう一度いいましょう。


  会社のためになるか、ならないか


もう一回・・・ってもういいですね。
そう、単純なことなんですよ。
会社が、アイツを上げることが会社のためになる、と思えるか思えないか。
それだけです。
まぁ会社は意思をもっていないので、誰かがその人を引き上げようと思う、
ということですけどね。

それでも、

  いや、アイツあげちゃまずいでしょ。それならオレを上げるべきでしょ?

って思ったことあります、アナタ?
ありますよね、そういう納得いかない事情。

でもね、残念ながら、会社はそう思ってないわけですよ。
ここが、Truth hurts.
真実は痛いのです。

昇進、というのは全員が全員、均等にさせられるわけではないですよね。
つまり選択、なわけです。
なにかを取ったら、なにかを諦めなきゃならない。
それがサイコロ振った末の偶然の結果であっても、アナタは選ばれなかったわけです。

  何分の一かまではいったんだから、運が悪かっただけで実力の問題じゃないぜ

とかって思ってませんか?
違いますよ、それはアナタに実力がないから、サイコロになったんです。
本当にアナタにそのポジションに相応しい実力があるなら、選ばれてますよ。

じゃあこの話しとビジョナリー・カンパニーがどう関係あるのか、
というのが見えづらくなってきた、というか忘れられちゃってるかもしれないので、
話しを戻していきましょう。

今までの話しをまとめると、

 ・出世は相応しいひとがする
 ・相応しい=会社のため
 ・故に、より相応しいひとがより上に上がっていく

ということですね。
ひと一人の出世、というミクロな視点でみるとそうなりますが、
上記のプロセスが、会社全体で起こるわけです。
営業でも開発でも工場でもマーケティングでも・・・。

マクロな視点で見てみてください。
会社を構成するひとつひとつの要素すべてが、会社のため、
を思って動いているわけです。

これってスゴことじゃありませんか?
何万人、っていう人間が、その会社のためを思って動くんですよ。
これこそまさにビジョナリー・カンパニーなんだな、と得心したわけです。

だから基本理念こそが大事であって、基本理念以外は大事じゃない、
といえるわけです。
全員が基本理念に向かって動く。
そしたらその会社が成長しない訳はないじゃないか、と思いません?

逆に言えば、基本理念を忘れて、派閥争いとか、利権争いとか、
そういうことにうつつを抜かす会社はビジョナリー・カンパニーではない、
ということになるわけです。

だから、上で書いた出世の理屈も、ビジョナリー・カンパニーに限って、
のことですからね。
限って、というと言い過ぎかもしれませんが、まぁ長持ちする、
ちゃんとした会社、での話しです。
単純に終身雇用制度の日本の会社全般、の話しについてではないです。

これこそがビジョナリー・カンパニーの本質なんだな、と思ったわけです。
そして、自分が今働いている会社も結構ビジョナリー・カンパニーに近いんだな、
というのがわかったわけです。

だいぶ遅きに失した感がありますが、あらためて気づかせられたのが、

  これは自分の乗るバスじゃなかった

ということですね。

そういう意味では、自分にとって、非常にeye-openingな、価値ある一冊だったんだ、
と改めて考えさせられたわけです。

個人と会社についてのメカニズムを明らかにしたところで、
ここまでをいったん締めにして、次回は社会、および著者にとっての、
書籍『ビジョナリー・カンパニー』の意義を掘り下げてみたいと思います。

こんなことを考えながら読んでみると、面白く読めるかもしれませんので、
良かったらこちらのリンクからどうぞ。




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