
こんにちは。読書の専門家、りゅうたろうです。
うーん…。
いきなりですが、なんかモヤモヤしてます。
そんなこといわれても、困りますよね?
ま、そりゃそうですね。
モヤモヤどころか、コロナウィルスが猛威をふるってて、外出も不自由だわ、
仕事もままならないわ、先が見えなくて不安にうち震える、今日このごろ、
そんな感じでしょうか。(2020年3月現在)
なんですけど、今日はコロナではなく、読書レビューではなく、
このモヤモヤについて書いていきます。
(オイッ!)
そんなん、カンケーねぇし、聞きたくもないし、
て思いましたよね?
ね?
いや、それはそれでいいんですけどね、モチロン。
でもまぁちょっとした人助け、とでもいいますか、ヤジ馬根性でもいいんですが、
ひとつ他人の心の闇をのぞいていっちゃみませんか?
(ウフフフフ…)
どうでしょう、ここまでついてきてますか?
サラッときましたかね、ここまで。
んじゃまぁもういいか。
(オイッ!)
ですよね、つきあわせといてそんなわけにもいかんですよね、そりゃ。
まぁそもそもですよ、話しの発端から。
なにをそんなにモヤモヤしてるか、てやつです。
ひとことでいうと、出だしを変えてみました。
そしたらなんか座りが悪くてキモチワルい。
まぁそれはきっと慣れの問題なのでそんな問題じゃない。
じゃあなにを悩んでるんだよ?とね。
悩み、というほどでもないんですが、このブログの存在意義、
もっというと自分の根源的な価値観に関わることなので筆をとりました。
いや、存在意義とか価値観とかいいすぎでしょ。悩みよりでかいじゃん。
って思ったでしょ?ねぇ?
そりゃモチロンたとえ話ですよ。筆なんぞビタイチとっておりません。
そんなもん持ってないし。
あ、でも改めて考えてみると筆ペンなら家に何本か、というか何本もありますね。
筆ペンって普段持ち歩かないですよね?
どうです、筆箱に入れてたりしますか?
私は入れてません。
だって、めったに活躍の場がないじゃないですか、ねぇ。
日常的にメモを取るのに筆ペン使うわけじゃなし、歩きながらふと思いついて、
ここで一句、みたいな風流な趣味をお持ちの方ならいざしらず。
そんな人いるんでしょうか?少なくとも私の周りにはいないです。
それはそもそも私の人づきあいの幅の狭さに由来するだけなのかもしれませんが。
そうすると、筆ペンって、外出先で突然必要な事態が生じて、急遽調達!
ということが多いんじゃないでしょうか?
それと水引と黒ネクタイ、の3点セットですね。
その昔、会社勤めのとき、水引は会社に常に慶弔どちらも置いてあって。
黒ネクタイは誰か持ってたりロッカーに常に置いてあったり。
筆ペンも用意があるか、誰か持っていたり、とそんなに困ることはなかったです。
ところが今や一人ぼっちが多い弱小個人事業主、頼ろうにも頼る人がいない、
そんなケースが往々にしてあるわけです。
そうすると、外出先で急遽上記の3点セット、水引、黒ネクタイ、筆ペン、
が必要な事態が生じると、自力で調達しないといけない。
家にいて、前もってわかっていれば当然事前に準備していけます。
が、何故か外にいるときにそんな事態に遭遇することが多い。
筆箱に常備しておけばいいじゃないか、という流れになるかと思いますが、
そうはいってもそんなに頻繁に出番があるわけじゃない。
というかむしろめったに出番がない。
現につい先日、その3点セットを調達する状況が生じたわけです。
ですが、それだって、
その前はいつだった?
といわれると思い出せないくらい前だ。
そんなたまにしか起きない不測の事態のために筆ペンを持ち歩くというのも、
スペースの無駄遣いだし、まぁいくらでもないし買えばいいか、てことなわけです。
そうすると家に筆ペンがドンドン溜まっていく、ということになるわけです。
ご想像のとおり、急遽必要になる筆ペンというと、まず薄墨のほうですよね。
普通の黒=慶事(結婚式とかその他お祝い事)で使うのは、そんな不測の事態ではなく、
事前に準備できることが多いわけで。
突然、
「今日、オレの披露宴あるから、きて!」
とか聞いたことない。
だからといって、急な弔事のときに薄墨の筆ペンを買うか、というと、貧乏性の為せる技?
なぜか両刀のものを買うことが多い、というか常ですね。
こんなやつね。
てゆーか調べてみたら、こんなアートな筆ペンもあるんですね。スゲー!
感動しました!!
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20色ですよ、全20色セット!!
以上、
「なぜペン立てに筆ペンが増えていくのか。」
のコーナーでした。
・・・・・・。
あ、いや、なんかこれ絶対違う流れや。
そうそう、そうでした!
なにを隠そう、ってなにも隠してないんですが、
いまお読みいただいているこの記事、これこそが、実質2020年の最初の記事なわけです。
そういいながらも、今やもう年が明けてはや2カ月。3月に突入してます。
コロナも収まるどころか日々勢いが拡大してる、そんな今日このごろです。
ぼちぼち「速レポ」の更新はしているものの、
「肝心の読書レビューはっ!」
とお嘆きの貴兄もいらっしゃいますでしょうか。(いませんね、はい)
で、重い腰を上げて、去年をふりかえったり、今年の方針を打ち出したり、
いっちょ書いてみようと。
と、書き始めてはみたものの、新しい書き出しを試してみたところ、
出だしでつまづいてモヤッとしてしまいました。
そんなわけでしたね。
ついてきてますか?
(※注意:この先ムダにあきれるほど長いです)
で、新しい書き出しって、なにやったか、というと名乗っただけです。
「読書の専門家、りゅうたろうです。」
と。
それがなにか?という感じでしょうが、「〇〇です」とはっきりいえないからこそ、
モヤモヤしているわけで、そこを掘り下げていくと結構本質的な悩みにたどりつくんだよ。
っておい、なんか急になれなれしいやっちゃな。
だいたいね、「読書の専門家」ってなによ?
って話しなわけですよ。
読書の専門家、という呼称については2016年から使っているわけで、定義もなにもなく、
いったもの勝ち、とばかり宣言だけしているという。
こんなしょうもない記事を書いていたわけです。読み返すのも恥ずかしい 笑
読む必要もまったくない、どうしようもない記事なんですが(削除してもいいくらい)、
そこでも「読書の専門家」ってなに?という定義づけはしていません。
当時のことに思いもはせつつ、今回書いてみて改めて考えてみたいと。
前提として、まず、
「専門家」ってなによ?
というところから始めます。
専門家、辞書を引きますと、こう書いてあります。
その分野に精通・熟達した人。エキスパート。玄人(くろうと)。(反対語)門外漢。「学研現代新国語辞典改訂第六版」より
専門家は「専門」の中にある項目で、専門、は同辞書ではこう定義されています。
一つの学問・仕事などを特に受け持ち、研究・従事すること。また、その学問・仕事。
うーん、てことは「読書の専門家」と名乗るからには、
1.読書が「学問」もしくは「仕事」である。
2.それを「受け持」っている。
3.読書を「研究」するか読書に「従事」している。
という条件を満たすことだ、と。
まず「1.読書が「学問」もしくは「仕事」である。」から始めましょう。
以降、言葉の定義はすべて上と同じ、「学研現代新国語辞典改訂第六版」によります。
まず「学問」とは:
1. 知らないことを学び、疑わしいことを問うこと。また、それによって得た知識。2. 体系的に整えられた知識や理論的に構成されて研究方法などの総称。
つづいて「仕事」とは:
1. 「しなければならない務めとして」すること。2. 職業。職務。3. (理)ある物体に力が作用して、その位置が移動すること。また、その変化した程度。
なるほど。
あとは「読書」も見ておきましょうか。
本を読むこと。
シンプルですね 笑
ですが、よく見てください。読書、は「本を読むこと。」と書いてます。
しかし!!
「読書」という熟語の中に、「本」の文字はない。
読書は文字どおりなら「書ヲ読ム」ということですよね。
んんんん?
「本」と「書」って同じなの、違うの?という疑問がわきませんか?
同意が得られようが得られなかろうが、私気になったので調べました 笑
こちらは学研の「漢字源 改訂五版」によりました。
まず「書」です。名詞の定義だけ拾っていきます。
・ふみ。書物。またはかきしるしたもの。・ふみ。手紙。・意見や命令をかきつけた文書。
他にもまだありますが、とりあえずこんなところで。
そして「解字」として語源にも触れられているので、そちらも。
(解字)形声。(略)ひと所に定着させる意を含む。筆で字をかきつけて、紙や木簡に定着させること。
ふむふむ。
ということは、「書」が何らかのメディアにかきつけられて固定されたもの、だと。
かたや「本」はどうでしょうか。
同じく「漢字源」から。名詞だけ抜き出します。
1. もと。太い木の根。転じて、物事の中心。(対)末・支。2. もと。はじめ。物事のはじめ。おこりはじめ。また、もとで。3. 農業のこと。▷商・工業を「末」というのに対する。7. (単位)草木や棒状のものを数えるときのことば。のち、書物を数えることば。8. 上奏文9. 書物。10. 姓の一つ。11. (日本)1. 勝負を数えることば。2. 野球で、「本塁」の略。
となっておりまして、「書」同様、語源も見ておきましょう。
(解字)指事。木の根の太い部分に、ー印や・印をつけて、その部分を示したもので、太い根もとのこと。
と。
「本」の語源についてはなんとなく聞いたことあるような気もしなくもないです。テレビかな?
でも、それがなんで「書物」という意味を持つようになったのか?というさらなる疑問が。
この点については、上記の2つの辞書では触れられていません。残念ながら。
そして今手元にはそれ以上の情報源がありません。
インターネットがあるじゃないか!?
と思われたでしょうが、それはそれとして調べてみました。
複数のサイトで紹介されていて、大筋はだいたい以下のような感じでした。
その昔は印刷とかする術がなく、書物の複製は写本を作っていくしかなかったわけです。
つまり人間複写機です。
で、その「写本」つまり、「写す」ために「本(もと)」となる書物、という意味で、
「本」が現在の本という意味を持つに至った。
調べた限りではどこもこんな説明がなされていました。
ただ、どこのサイトでも出典とか原典が明らかにされていないので、まるっと引用するとか、
特定のサイトにリンクを貼るのは避けます。
気になった方はご自身でググってみてください。
また、本当の由来を原典とともにご紹介いただける方は、ぜひお願いいたします。
さて、またしても一体何の話しをしてるんだ、というくらい壮絶に話題がそれてますね。
いいんです。大事な話しなので、順を追ってゆっくりいきます。
今の話題は、
1.読書は「学問」もしくは「仕事」である。
のか否か。という点でした。
読書、は先ほどまで見てきたとおり、単純に本を読むこと、と片づけてしまって良さそう・・・
いや、そうでもなくね?
( ´゚д゚`)エー
ちょっと戻ります。
今書いた「本」は「書物」と同義、とします。
でも本って「書物」ともいうけど、「書籍」ともいうよね?
その違いって・・・?
いい疑問ですね!
では早速見てみましょう。
「学研現代新国語辞典改訂第六版」では:
書物:本。書籍。書籍:書物。本。図書。
となっていまして、なぜか突然現れる「図書」の文字!
また迷路に突入か!と。(ドキドキ)
(ここは触れずにスキップしてしまおうか・・・)
なんて誘惑にも駆られましたが、それではいかん!
自分を律して逃げずに辞書にあたってみました。
図書:書籍。書物。本。
あら。まぁ。笑
4者融合。
本、書物、書籍、図書、は同じ、と一旦決着しておきましょう。(ホッ)
再び戻って。
1.読書は「学問」もしくは「仕事」である。
のかどうか、と。
「学問」と「仕事」とはこんなことでした。
「学問」とは:
1. 知らないことを学び、疑わしいことを問うこと。また、それによって得た知識。2. 体系的に整えられた知識や理論的に構成されて研究方法などの総称。
「仕事」とは:
1. 「しなければならない務めとして」すること。2. 職業。職務。3. (理)ある物体に力が作用して、その位置が移動すること。また、その変化した程度。
さて。
なんかまた気になりごとが・・・。
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
仕事の定義がちょっと気になりませんか?
私はなります。( ー`дー´)キリッ
職業柄ですかね、非常に気になります 笑
仕事は、「働く意味」とか「仕事のやりがい」とかとか、そんなことを考えたり、
考えるお手伝いをしたり。
そんな感じ。
あと宝の持ち腐れてるキャリアコンサルタントの資格とか。
なもんで、上に書いてあるような仕事の定義、「しなければならない務め」
という表現に非常な違和感が。
受け身、というか後ろ向き、というか。辞書の編者の価値観が現れかな、と。
そんな感じ受けません?
もしや、
「仕事ってそんなもんじゃん?」
とか思ってます?
なんでこんなところに引っかかりを?
というかとですね、思い出したんですよ。
そうそう、マグレガーのX理論とY理論。
なにが「そうそう」やねん?
「マグレガー」ってなんやねん?ゴルフウエアか?
ユアン・マグレガー?スター・ウォーズか?
て思ったら、マグレガーじゃなくて、マックレガー、なんですってね。
マックレガー ボタンダウン長袖シャツ 紳士 111170102 M/L/LL | ||||
|
スター・ウォーズで英語の勉強もできちゃう、みたいな。
スター・ウォーズ英和辞典 ジェダイ・マスター編 [ 学研辞典編集部 ] | ||||
|
えーと、そうじゃなくて、なんだ。
そうそう!
X理論とY理論。By ダグラス・マグレガー。
で、なんで今度はマグレガー?ていうかマグレガーって誰?みたいな迷宮にようこそ。
簡単に説明すると、「X理論・Y理論」とやらを1950年代に提唱した心理学者・経営学者です。
X理論=「仕事はいやいややらされものである」「人は仕事をしたくないものである」
Y理論=「人は強制されなくとも喜んで仕事をする生き物である」
という考え方です。
詳しくは著書の「企業の人間的側面」をご参照ください。
私自身、確実に読んでいるんですが、レビュー記事が見当たらない。
計上漏れですわ。
もう2、3年前のことだったんで、また、久しぶりに読もう!と思えました。
それはさておき、また話しが・・・。
そうそう、「仕事」の捉え方ですよ、この辞書の。
「しなければならない務め」というのはちょっと偏ってないか、と。
そんな人ばっかりじゃないだろう、と。
少なくとも自分はそう感じてません。
世の中そんな人たちばっかりだと、企業も、社会も成長しないんじゃないかな、と。
そうはいっても現実厳しいよ、てのもありますよね、モチロン。
だけど、だけど、ですよ。
仕事するからにはモチベーション高く、ご機嫌で働けるといいよね。
と、私は思いたい。
「じゃあそうするためにはどうしたらいいかなぁ?」
なんてことを支援したり、一緒に考えたり、というのが、キャリアコンサルタントや、
研修講師の務めなわけです。
なもんで、ちょっとやらされ感満載のこの辞書の定義はちょっと抵抗があるなぁ、と。
個人の感想です。
もう壮絶な迷子っぷりですが・・・
今なんの話しをしていたかというと、読書は「学問」や「仕事」として成立するのか、
ということを考える段階でした。
まず、「学問」のほうから見ていきます。
上のほうでご紹介した、
「知らないことを学び、疑わしいことを問うこと。また、それによって得た知識。」
という定義には文句なくすんなりとハマりそうですよね。
特に最初の文の前半部分。「知らないことを学び」というところ。
「本を読むことは、知らないことを学ぶ」ことである、と。
後段も含めるとどうでしょうか。
「本を読むことは、知らないことを学び、疑わしいことを問うこと」である。
これも特に違和感はありませんでしょうか。
主述の関係だけ抜き出すと、
「本を読むことは、問うこと」である。
となって、なんだか深い感じが。むしろこっちが本質なんじゃないか、
とさえ思えてきます。
批判的読書、というか鵜呑みにせずに考える姿勢こそ大事、みたいな。
「読書は学問である」と考えてよさそうだね、と。
では次に、読書は「仕事」になりうるのか、という点。
上で示した「仕事」の定義、ひとつ目の項目。
「『しなければならない務めとして』すること。」
これに照らすと、
「本を読むというのは、「しなければならない務めとして」すること」である。
もう少しこなれたいい方に書き換えてみると、
「読書とはしなければならない務めである」
どんな印象でしょう?
決して読書が嫌いではない私でも、なんかヤな感じ。
じゃあもう一つの定義、「職業。職務。」に当てはめてみると・・・。
「本を読むことは職業もしくは職務である」
なんだかよくわからない。
「職業」「職務」を見てみると。
職業:生計のためにする仕事。職。職務:[会社・団体などにおいて]各人が受け持つ仕事・任務。つとめ。
とあるので、
「読書は生計のためにする仕事」
てことかと。
「生計のため」ということは、お金のため、ということですかね。
さて、どうでしょうか。
生計:[社会で]生活していく方法。暮らし。活計。
ですって。
「計」という字がついているので、お金とか数字に関係あるのかな?と。
気になるなら、調べますよ、と。
「計」とは、漢字源によると(版は上記紹介のとおり):
1.(動)かぞえる。はかる。いくつもの数をつなぎ集める。数を集めて、数・量の多少や出入りをしらべる。2.(動)はかる。物事をつなぎ集めて、よしあしや方法を考える。はからう。3.(名)はかりごと。くらべ集めて出したやり方・方法。4.(名)勘定。計算した結果。また、帳簿。帳簿係の役人。5.(名)数量・程度を知るための器械。(中略)(解字)会意。「言+十(多くを一本に集める)」で、多くの物事や数を一本に集めて考えること。
確かに数字に関係してます。
してるんですが、2番め3番目の定義や語源の解字を見ると、それだけじゃない。
「物事をつなぎ集めて考える」
というのが肝っぽい。
必ずしもお金や数字のことばっかりじゃない、と。
とすると「生計」というのは、
「生きるためにいろいろな物事をくらべ集めて、よしあしや方法を考える」
そんなことですかね。
「生きるための知恵」的な。
話しを戻して、「生計のためにする仕事」という「職業」の定義に基づいて考えると、
「「読書は生きるための知恵」「本を読むことは暮らすこと」であり、そのための仕事である」
てことですね。
続いて「職務」の定義。
当てはめてみます。
「読書とはその人が受け持つ仕事・任務である」
と。
そこへ「仕事」の定義を放りこむと、
「読書とは、その人が受け持つ、しなければならない務めである」
となります。
それと任務の項も見てみましょう。
任務:その人の責任とされるつとめ。役目。
すると、
「読書とは、その人の責任とされるつとめ。本を読むことは(あなたの)役目だ。」
ということに。
どうでしょうか?
もうだいぶ興味をなくしてグッタリ、て感じでしょうか。
ま、気にしないんですけど。(゚ε゚)キニシナイ!!
先ほど単に「しなければならないこと」といわれたときよりも、
グッとやる気が感じられますね。(個人の感想です)
上記のことをつなぎ合わせると、
「読書とは生きるための知恵を考えることであり、それはあなたの役目だ」
ということになりそうです。
そうすると、「読書は仕事である」ともいえますね。
やっと、「読書は「学問」にも「仕事」にもなりうる」ということができました。
さて、だいぶ長々やってきました。
この議論の出だしが見えづらくなってきたので再整理。
「読書の専門家」と名乗るからには、
1.読書が「学問」もしくは「仕事」である。
2.それを「受け持」っている。
3.読書を「研究」するか読書に「従事」している。
という条件を満たすことだ、と。
で、今この1.が終わったとこなんですけど、続けます?
これまで、「1.読書が「学問」もしくは「仕事」である。」
というところでした。
次は、
2.それを「受け持」っている。
について考えていきます。
ていう流れに、続けるとなりますが、どうします?
実はですね。
(゚Д゚≡゚Д゚)エッナニナニ?
書いてあるんですよ。すでに。
3.の途中くらいまで。
Σ(゚Д゚;エーッ!
ま、編集はまだなんですが、これが長い。
もうすでに長いのに、さらに長い。
ムダに長い。
驚愕の長さ。
なので、この議論は一旦置いておいて話しを先に進めます。
ノーカット版は書きあげて後日どこかに置いておきます。
ということで、結局「読書の専門家」ってなに?
には未だ結論出ず。
モヤモヤはどうか?
すっきりとはしてないまでも、ここまで書いてみて、考えてみて、
ちょっと整理されたかな、と。
今のところは。
世の中には専門家ってたくさんいるよね。
いろんな専門家がいるよね。
ということで自己解決。
最初からこの2行だけで良かった。
もうちょっというと、「読書の専門家」なわけです。
「専門書の読書家」じゃない。
「専門の読書家」でもない。
「読書レビューの専門家」でも「書評の専門家」でもない。
それは書く人や。書く専門家やね。
じゃあ「読書の専門家」ってなんだ・・・(ふりだしに戻る&無限ループ)
だからこその、いったもんがち。
世の中には専門家ってたくさんいるし、
いろんな専門家がいる、てことで。
まぁ専門家談義はこの辺にして、次。
昨年(2019年)はなにをやってきたんだ、というふりかえりを、まず。
年間の読書記録は先日こちらでまとめたとおり、85冊でした。
こちらはちょっと最近自分の中で定義が難しくなってきているので、
ざっくりした書き方をしますが、普通に読んだ数。
2017年が115冊前後。
2018年が87冊。
2019年が85冊。
なんと右下がり。
2017年時点から冊数を追わない、とはいってきてます。
それが目的ではない、と。
「専門の読書家」だとそれはまずいけど「読書の専門家」的にはOK。
そういうこと。
実は今年はもっと減りそうなヨカン。
読む手を緩める、とか手を抜く、とかではなく。
それもこれも計上ルールを変更しようと考えてまして。
ちなみに今までの計上ルールはこう。
1. 計上は読了日ベース。
2. 再読であっても1冊に数える。
3. シリーズものであっても、物理的に本が別れていれば、それぞれカウントする。
例)上・下 → 2冊でカウント というルールに基いてカウントしています。
異論は一切認めません 笑
この中の、「2. 再読であっても1冊に数える。」
こいつが問題になりそうでして。今後。
すべて「フォーカス・リーディング」のせい。
せい、って悪者にしてるわけじゃないんですが、読み方が変わってきてます。
「フォーカス・リーディング」についてはこの記事↓で簡単に紹介してますが、
もっとちゃんとしたレビューを後日あげようと思いながら未だ至らず。
あくまで現時点での参考ということで。
この中で、
今後この本とのつきあいを深めていくことよって、レビューの仕方とか、「読了」
のルールも変わっていくような気がします。
最低三回は読め、とか、農耕型読書と狩猟型読書、とかとか、本の読み方とか、
そもそも読む本の選び方とか、それぞれの本のつきあい方とかとかとか、いろいろ考えると、
なんだかグルグルします。
という表現をしているとおり、1回読んで終わり=読了、じゃなくなるな、と。
冊数は別に、85冊のレビューをすべて書ききったのは、一つの成果かと。
自分としてもやりきった感はあります。質はさておき。
他に新たな試みとして、「速レポ」なるものを開始。
(2020年3月11日現在15冊を紹介→「速レポ」)
見返してみたら11月くらいからでしたが、これも「フォーカス・リーディング」のせい。
ネタとしては、読書レビュー+速レポ。
プラスたまにどちらでもないもの。
たとえば、
とか、
とかとか。
他に、
とかとかとか、ホントに答えも結論もなにもない、フラフラしたものを書いてみた。
そんな一年でした。
で、2019年1年間に更新した記事数は101件。
これも個人的には一つの金字塔と、勝手に悦に入っております。
記事とか内容についてはこんなんでした。
他にも、実は細かいことで、気づいてる人はほぼいないと思われ。
なんでしょう?
なにかしら?
て、1ミリももったいつけることじゃないんですが・・・。
独自ドメインに切り替えてました。
てやつです。
「ムームードメイン」で取ったんですけど、さっさとやればよかった。未だ作業完了してないんですが、過去記事の手直しが結構ヤヴァい。
今年もボチボチやっていきつつ、いらない記事は捨ててこうかな、と。
こんなことをやってきた2019年でした。
さて、じゃあ2020年は?
の前に。
(・・・!?)
また緊張が走りますが、(笑)
いやね、やってみてどうだったのよ、とね。
2019年の活動は?と。
もっと前にさかのぼって、いつからレビューを書く、と決めたのか。
探してみたらこれでした。

今日は2020年3月11日、上の記事が2016年3月11日、4年の歳月を超えて再開。
読み返してみたらぜんぜん「黄金フォーミュラ」とか守ってない 笑
ビタイチ守ってない。
こんなこと書いてます。飛んでいかなくても大丈夫。
なので、読書レビューをする際には、私が、なぜ読もうと思ったのか。そして、読んで何を受け取り、どう行動に生かされたのか/生かされなかったのか。それはなぜなのか。みたいな話しを伝えつつ、その思いに共感できたあなたも、読んでみたらどうでしょう。こんなスタンスでいければ良いのかな、と思いました。
どんなスタンスや。
ぜんぜん意識してないわ。
これからちょっと試してみようかな、と。
そんな、自分で決めたことも意識せず、レビューを書き続けた2019年。
気づいたこと。
順不同に。
・レビューが書けるものと、そうでないものがある。
・書きやすさと、感動の大きさとか作品への共感はリンクしない。
=好きだな、いいな、と思っても語ることばが出ないことも。
・「書く」ことが目的化してないか?
・「書く目的」が結構あいまいじゃね?
・それってそもそも「読む」目的があいまいじゃねーの?
ひとことでまとめると、
書くことが義務化しちゃって、自分の本気が伝えられてない。
てことかな。
「読書の専門家」なわけで書く人じゃない、のはそのとおり。
伝えるって誰に?別に望んでないけど?といわれたらそれまで。
そもそもこのブログは「読書だけして暮らしたい。」というタイトルです。
それで5年間やってきました。
なにを意図してこのタイトルか、というのは始めたばかりのときに書いてます。
(たいした記事じゃありませんが、ご興味あればこちらを。
要は、「読書だけして暮らしたい。」といくらいっても、
「ひとり黙々と読書だけして過ごす。」
てことじゃない。
そんなことできるわけないし、したくもない。
いくら本好きでも。
そうはいっても・・・
「誰とも会わず、外にもいかず、働きもせず、読書だけして暮らす方法はないの?
あるんじゃないの?」
という質問もわくかもしれませんね。
それについては、個人的な見解ですが・・・。

出典: 横山光輝「三国志」18巻147ページ(潮出版社)
いや、ただ使ってみたかったんです、これ 笑
というだけでなく、実際そうだと思ってます。
なぜなら、人間はひとりでは生きていけないから。
例をあげるまでもないとは思いますが・・・。
Humans nowadays completely dominate the planet not because the individual human is far smarter and more nimble-fingered than the individual chimp or wolf, but because Homo sapiens is the only species on earth capable of cooperating flexibly in large numbers.「人類が地球上でこれほど反映しているのは、チンパンジーや狼などと比較して賢く手先が器用だから、というわけではない。むしろ人類が多数の仲間と柔軟に協力関係を結ぶことに地球上で最も長けた種だから、という理由による。(訳は引用者による)」Homo Deus - Yuval Noah Harari, Vintage (p.153)
優れた心理学者ウィリアム・ジェイムズは、「人間の持つ性情のうちで最も強いものは、他人に認められることを渇望する気持ちである」と言う。ここでジェイムズが、希望とか要望とか待望とかいう、なまぬるい言葉を使わず、あえて「渇望する」といっていることに注意されたい。(中略)自己の重要感に対する欲求は、人間を動物から区別している主たる人間の特性である。人を動かす【文庫版】− D・カーネギー P.34(創元社)
生理的欲求と安全欲求の両方が十分に満たされると、愛と愛情そして所属の欲求が現れてくる。そしてこれまで述べた一連の過程がこの新しい欲求を中心にして繰り返されることになる。(中略)こういう人は、全般に、人々との愛情に満ちた関係に飢えているのであり、すなわち所属する集団や家族においての位置を切望しているのであり、この目標達成のために一所懸命、努力することになる。(中略)人間社会で、この欲求が妨害されることが、不適応やあらに重度の病理の最も一般的な原因となっている。[改訂新版]人間性の心理学 − A.H.マズロー PP.64〜65(産業能率大学出版部)
要は、あなたの存在なしにはこのブログもありえない、と。
「君たちがいて、僕がいる。」ちゅーことです。
もうすぐ終わりますからねー、辛抱してくださいねー 笑
もう誰もいなくなってる気もしますが 笑
結局2019年後半からモヤモヤしていて、これからどうしていくか、
のきっかけを与えてくれたのが、この二冊。

「フォーカス・リーディング習得ハンドブック」については、今日もこれまで何度も触れてます。
別途レビューする、といいながらぜんぜんできてませんが、
我ながら本の読み方、つきあい方が変わったな、と実感できる一冊。
「読みたいことを、書けばいい。」も何度かレビューでふれています。
今回こんなに長いこと書いているもの、こいつのせいこの本のおかげ。
参考にしたいこと満載なんですが、特に意識したのはこの二点。
物書きは「調べる」が9割9分5輪6毛ライターの考えなど全体の1%以下でよいし、1%以下を伝えるためにあとの99%が要る。「読みたいことを、書けばいい」− 田中泰延 PP.144、148(ダイヤモンド社)
ちょっと一次資料までは当たりきれてないけど。
それと、
「起承転結」でいい①発見②帰納③演繹④詠嘆(中略)たとえば、こうだ。①わたしの目の前にはたい焼きがある。たい焼きは、すべて同じ形をしている。同じ型にはめられ、次から次へと焼かれるからだ。②それは国民をすべて同じような兵士として育て上げ、次から次へと戦地へ送る国家の姿勢と似てはいないだろうか。③日本と近隣国との緊張が高まるいま、このような同じ型に人間を当てはめ、送り出す行為。それは危険な道へと続く。④ああ、軍靴の音が聞こえてくる。「読みたいことを、書けばいい」− 田中泰延 PP.194、198〜199(ダイヤモンド社)
ただ、この本でなんといっても大事だな、というのはタイトル。
「読みたいことを、書けばいい。」
つまり「「自分が読みたいものを書く」ことで「自分が楽しくなる」(同書P.6)」
てことなんだな、と。
ああ、軍靴の音が聞こえてくる。
ついに結論へ。
2020年、みなさんへのお約束。
具体性が欠けるところも一部ありますが、こんなブログです。
「読書だけして暮らしたい。」は。
・「読書の専門家」は名乗り続ける。考え続ける。
・レビューはメリハリ。全部書くことを目的にしない。
・読書はフォーカス。農耕型多めで。
・読みたいことを、書く。
最後に、宣言。
早々にWordpress、導入して、より読みやすく、見やすく!!
ということで、2020年の所信表明でした。
もう誰も残ってませんよねぇ。
( ´,_ゝ`)クックック・・・( ´∀`)フハハハハ・・・( ゚∀゚)ハァーハッハッハッハ!!
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